2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧
親しい人、愛しい人と一緒にいるときに安らぎがあるように、ひとつであるとき、分離がないとき、そこに幸せがあることを、ハートは教えてくれます。 だから、私たちはワンネスを求めます。 ひとつになれば上手くいくと。争いがない世界がきっと作れると。 そ…
ラメッシが著書の中で、自我についてを、電子レンジに喩えて、こんなふうに言っています。 自我とは、電子レンジが「私は自分で光を出している。」という催眠にかかっているようなものだと。 レンジが、エネルギーが供給されることで動き、そしてその動きさ…
自分を愛するということが、どういうことか、ずっとわかりませんでした。 そして今でも、この世的なやり方では、それは満たせないと感じています。 何かを獲得すること、価値を与えること、一般的には、そんなようなことが愛することのように捉えられます。 …
気づくまで、私たちは、相手ではなく自分の観念を見ています。 たとえば誰かに憤るとき、そこには、「それ(その言動)は間違っている」という思考があり、その奥には、「(それは)こうあるべき」という観念があります。 ですが、多くの場合、その観念は見…
サットサンに参加したくて、探していたのですが、日本ではなかなかしっくり来るところが見つからず、海外のオンラインサットサンに参加できればと英語の学習を始めた私。 学習の中では、ハイキングに行ったり、パーティーに行ったりするものの、意識や真我と…
「求めよ。さらば与えられん。」 イエスがそう言っていたように、私たちが「求める」とき、救いは必ず与えられると感じます。 もし、与えられないのなら、問題は、本当には「求めていない」というところにあるのかもしれません。 「求める」とは、何でしょう…
「真理を学んでいても、真理を本当に求めている人はほとんどいない。」 インターネットで探しものをしていたとき、ふと目にしたその言葉が、ずっと離れずにいます。 自分を振り返っても、本当にその通りだと感じます。 私たちは、神に祈るときでさえ、 「私…
もし、これまで蓄えてきたたくさんの観念を隅に置くなら、私たちは未知と最大の可能性と、奇跡の中にいることがわかります。 心臓も脈も呼吸も自然に動き、身体はあらゆる生命に生かされているということ。 そして、宇宙のその生命のしくみが、この身体や、…
月に2回ほど、心の自助会をやっています。 そこでは、本当の解決とは、問題が無かったと知ることだとつくづく思うのです。それは、これまでのエゴの解決法から、ハートのやり方へとシフトすることでもあります。 たとえば、ある人にカチンときたとき、私たち…
想念が思い浮かんでも、けっしてそれを追いかけたり、成し遂げようとすることなく、まず「この想念は誰に生じたのか?」を問うがよい。 こうして、「この想念が私に生じたのならばその私とは誰なのか?」を内に問いかけるなら、心は源に戻って静まり、すでに…